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座Interview vol.12 「生物として特殊な位置にある人類。「座る」の最適解はまだ出ていない。」生物学者 池田 清彦

科学から社会にわたる幅広い知見をお持ちで、コメンテーターとしてテレビ出演も多い生物学者の池田清彦先生。人間の生物としての側面や、他の生き物との比較などを踏まえながら、「座る」の進化や役割、そしてベストな姿勢をさらに追求する可能性についてお話を伺いました。

Profile

池田 清彦Kiyohiko Ikeda

1947年、東京生まれ。生物学者。理学博士。東京教育大学理学部生物学科卒業。東京都立大学大学院生物学専攻博士課程修了。山梨大学教育人間科学部教授を経て、早稲田大学国際教養学部教授、山梨大学名誉教授。専門は、理論生物学、構造主義生物学。

「座る」は哺乳類全般に見られる動作だが
人間にとってはさらに大きな意味を持っている

生物学者 池田 清彦さん(その1)

「座る」は哺乳類に特有の動作です。これは体のつくりが関係していて、例えば爬虫類は脚が胴体の横から出ているのでお腹を地面につければ休む姿勢になってしまう。だから座る必要がありません。哺乳類は脚が胴体から下に出ていて、休もうと思ったら「脚を曲げる」動きを挟まないといけない。これが「座る」です。「伸ばしている脚を曲げる」ことと常にセットの動作なんですね。

イヌやネコ、ライオンなどは後ろ脚だけを曲げてお尻を下げる姿勢も取りますが、哺乳類が「座る」場合は基本的に4本の脚をすべて曲げて胴体を落とす、つまり「伏せる」になります。さらに、その姿勢のまま首を地面につけて眠ります。人間にとって「立つ」「座る」「伏せる」「寝る」はそれぞれ違いのはっきりした“別の”姿勢ですが、多くの哺乳類にとって「立つ」以外は線引きが曖昧な近接した姿勢と言えます。

人間の場合は歩くのに前足を使わなくなった、直立二足歩行を始めたというのがやはり重要です。その結果「立つ」と「寝る」の落差がとても大きくなった。そこで間に「座る」を置いて、人間の姿勢は大きく3段階になりました。そのため他の動物よりも「座る」が持つ意味は大きくなり、より特殊なポジションとなったのです。特に人間にとって大事だったのは、落ち着いて理性的な会話をするのに「座る」が適していたということ。立っていると何かの加減で闘争的になる。ケンカするときって、たいてい「コノヤロー」って立ち上がりますよね。座っているとリラックスして、あまり感情的にならずに話ができる。このことは、コミュニケーション能力の発達とも無縁ではないでしょう。

人類の社会性の発達とイス誕生の関係とは
カギは「目線の高さ」とコミュニケーションの「質」

生物学者 池田 清彦さん(その2)

地べたに腰を下ろしてコミュニケーションを取るのは、ニホンザルやゴリラなど他の霊長類にも見られることですが、イスという腰かける道具を使うのは人間だけです。イスが発明された背景はいろいろ考えられますが、ひとつ重要だったのは「目線の問題」ではないかと思います。何人かが集まって腰を下ろすとき、イスに座る人は地べたに座る人よりも目線が高くなりますよね。それが集団の中での地位を表すのに有効だったのではないでしょうか。

人間はもともと50人からせいぜい100人くらいの「バンド」という集団で暮らしていました。そのくらいのスケールだと、全員お互いに顔がわかっているし、一人ひとりの性格だとか能力、立場も暗黙の了解として把握していて、わざわざ人間関係やランク付けを形にして表す必要がありません。しかしより大きな社会を形成するようになると、知らない人でもひと目で立場がわかるように、ランクを強調する必要が出てくる。その表現方法の一つが、目線の高さだったのではないかと思います。最初はリーダーになるような人が、大きな石などに腰かけるところから始まったのかもしれません。

このように、哺乳類全般にとっての「座る」とは違い、人間が生み出した「腰かける」は社会性の発展と関連してつくられてきたものです。集団の中でのランク付けは他の霊長類でもありますが、それを目線の高さで表現することはありません。相手の目を見てコミュニケーションするのが、人間の場合大きな意味を持っているからでしょう。相手の目をどこから見るかというのはとても大事で、大人と子どものように身長差があっても同じ目線になれば親近感が大きくなりますし、見上げるのと見下ろすのではもちろん意識が違ってくる。話をするときにどういう高さで座るかは、コミュニケーションの「質」に密接に関係しているのです。イスの発明は、その「質」をコントロールする上でも重要だったと思います。

生物としての本来の寿命より長生きする人間
高齢社会の中でベストな「座る」は未知数

生物学者 池田 清彦さん(その3)

人間は「座る」に関連して腰痛だとか肩こりだとか、姿勢にまつわる悩みをいろいろ抱えて生きていますが、そういう動物というのは他にはいませんね。腰痛に関しては直立二足歩行をするようになった“代償”みたいなもので、体重が4本の脚で分散されずに腰にかかってしまうからどうしても負担がくる。とはいえ、まだ若いうちから腰が痛いという人はそんなに多くはないわけです。つまり姿勢が崩れて体にガタがくるといった問題は、体のつくりにも要因はありますが、それよりも「人間が本来の寿命よりも長く生きられるようになってしまった」ことに起因していると言えます。

他の生き物も「姿勢がいい」のではなくて、「姿勢が悪くなるまで生きられない」というのが正確なところでしょう。生物の「自然選択」の考え方でいくと、生殖活動が終わった個体の生死は重要ではなく、そこに自然選択は何の関与もしません。遺伝子を次世代に残してしまうと、多くの個体がその役目を終えて死んでしまいます。その寿命は、姿勢にまつわる体の不調が表に出てくる前に尽きてしまうのです。だからひょっとすると、キリンも寿命が倍に伸びたら、頸椎ヘルニアになって「首が痛い」「持病だ」って言い出すかもしれません。

人間は体にガタがくるのが問題として顕在化するぐらいまで、寿命が延びてしまった。しかし「座る」や「腰かける」は、まだ人類の寿命が短かったときに生まれたものです。その意味では、人間が高齢になってからの座り方が、今みんながしているあの姿勢でベストなのかどうか、実は疑わしいと言えます。50歳ぐらいで寿命が尽きていたころの人類にとってベストな休み方だったものを、80歳の人にそのまま当てはめることが適切なのかは、本当はわからない。姿勢にしても、一般には若いときの立ち方、歩き方、座り方をずっと維持することが良しとされますが、その価値観もちょっと違うのかもしれません。高齢者にとっての“いい姿勢”は、既成の考え方や慣習を一回リセットして考え直す余地があるでしょう。